2007.07.15
【奈良県】
藤原京跡(Map)
飛鳥の宮から移り、日本で最初の条坊制(南北を条で、東西を坊で仕切る碁盤の目)を布いた都城(とじょう)だそうです。
発掘現場写真の後方(手前の低い山)の、天香具山(あまのかぐやま)の奧まで含まれたそうですから、かなり広かったようです。
和歌に関心のない者でも、天香具山の語感は耳に残っており、その響きにロマンチックなものを感じていしまうのは何故なのでしょう?
都の北側には耳成山、西に畝傍山(うねび)というランドマーク的な山はあるのですが、ちょっと急峻で女性が登るには難儀な山に思えます。それらの山とは違い、なだらかな丘のような天香具山には、その地形を生かした何らかのデートスポットがあって、それを口説き文句に使った歌が数多く読まれたのではないか? だなんて思ったのですが、きっと違うよね……
藤原京と、藤原氏の名は、昔のこの土地の名前に由来するそうです。
この都は何と遷都から16年で次の平城京に都の座を譲ったそうです。
気まぐれにもほどがあると言うか、作らされた人間にしたらやってられないだろうなあ、と思いません?
その後、焼失したそうです。燃やしたくなったヤツはきっといたと思いますもの……
談山神社(たんざん)(Map)
言い伝えによるとここ談山(かたらいやま)で、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ:ATOKで変換されません。限界?)と藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が、大化の改新(ハイ君、それは何年?)の謀議を図ったとされています。
そんな縁から、鎌足の死後に息子がこの地に十三重塔を建立したのが始まりだそうです。
何と、その十三重塔が現在修復中で見ることができませんでした。ショック……(ちゃんと調べてから行こうね!)
──絵が見たい方はhttp://www.tanzan.or.jp/へ。
日本の苗字の発祥は、源氏・平氏・藤原氏・橘氏及び菅原氏に集約されるとのことです。
この神社に「藤原氏ゆかりの苗字」という印刷物があり、それには藤原氏から生まれたとされる苗字の一覧が掲載されています。
まあ、由緒を自慢したいのでしょうが、対象を限定することは広がりをあきらめることになると思うのですが。
ちなみに、わたしの苗字はありませんでした。
【中等日本史】のおさらいです。
先ほど登場した中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は、友好国の百済(朝鮮)の救済に失敗し、奈良を離れ現在の大津市付近に近江朝を開き、天智天皇となります。その子どもが大友皇子で、滋賀県「瀬田の唐橋」に登場しました。
前回同様、今回もピンと来てませんでしたが、本を読んでイマジネーションを広げる楽しみ方だけではなく、自分の足で歩いてリンクさせていくことの醍醐味ってのも感じました。
単なる自己満足なんですけどね……
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