2007.07.15
【奈良県】
五新線跡(Map)
五條新町に残る、五新線(ごしんせん)の跡地に残された構造物です。
五新線とは、五條と和歌山県新宮を結ぶ路線として計画され、戦前に着工し戦争による中断を経て継続されたものの、1982年に工事が凍結された未完路線です。
まだ道路が整備されていない時代の交通手段の確保と、奈良・和歌山の山林からの材木を運び出すことを目的に計画されたようです。
五條から新宮へ向かう十津川街道に行かれた方はお分かりと思いますが、ずーーっと険しい山が続くのでその線路もトンネルと鉄橋ばかりと思われます(全貌は見てません)。
現在その鉄道用に整備された敷地は、バス専用道として活用されているそうです。その様子はちょっと古いですが、映画『萌の朱雀』で触れられています(わたしはそれで知りました)。
本当に平地のない地域で、昔は土地の面積で一律に課税されていた年貢を、嘆願して免除してもらったというくらいの厳しい土地柄です。
そこに光が差すと思われた鉄道建設が、結局頓挫してしまうにあたっての人々の落胆は計り知れないと思われます。
厳しいからこそ、神聖な場所として熊野古道が残されていることは、やはり行ってみないと理解できないと思います。
下の写真は、五新線(左の道)が現在のJR和歌山線(右が線路)から分岐していたと思われる地点。
「へぇー、だから何なの?」という、マニアックな写真ですが、この真ん中にある木は誰かが思いを込めて植えたのではないか、という気がしています……
五條新町(Map)
明治維新の導火線とも言われている「天誅組(てんちゅうぐみ)の変」は、五條にあった代官所襲撃から始まったそうです。
先陣を切る者とは、どんなところでも血気盛んで目立ちたがりと決まってますが、彼らはちょっと惨めだったようです。
天皇の行幸を待ち受けるべく、代官所を占領し天皇直轄地の宣言をした翌日に政変が起こり、彼らは逆賊とされ討ち果たされたそうです。
紀伊半島周辺は古くから天皇とのつながりがあり、逃げ込むならこの辺りと決めていたような気もします。年貢を免除してるんだから、きっと守ってくれるとの思いもあったのでしょうか。
ここも古い町並みが残るところなのですが、前出の今井町に比べると規模ではかないませんが、フレンドリー(自由さ)な印象があります。門徒の町ではない開放感、とでも言うのでしょうか。
門の中がとても端正に整えられているお寺(上)や、町中にしては結構大きな酒屋(下)があったり、いい加減で歩いていて不安になるような狭い路地があったりと、散策には楽しい街だと思います(すぐ裏には大きな吉野川も流れています)。
下の場所、わたしは「あっ、きっと何かの映画かテレビで見た気がする」と思ったのですが、思い出せずにいます。
心当たりの方がいらしたら、ぜひご一報下さい。
どこで見たんだろう〜、と考え出すと眠れなくなっちゃうんですよ……
今回の奈良紀行はこれで終了です。
来週は夏休みで、岡山〜鳥取へ行ってきますので、一週間お休みになります。
休み明けをお楽しみに!(だから、自分だけだって)
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